四畳半商店 店主ドードーの日記

個人的な日記な面が多めのブログです!仕事の事も追い追い入れてきますー

青年海外協力隊に応募した理由。

僕は2011年10月から2013年10月の2年間と2014年4月から今年の4月まで青年海外協力隊としてフィリピンで活動している。

初めの2年間はパナイ島イロイロ州ドゥエニャス町の公立の職業訓練高校の家具製作科に派遣され、いち高校教師として。

3年目の今の活動はミンドロ島オリエンタル州のポラ町でココナッツの殻などを利用したクラフト製作事業の支援を行なっている。

とは言え、今現在で残り2ヶ月。2年も早かったけど、3年目も早かった。

3年もフィリピンに居たんだと、ふと思い、すごくあっという間に感じている。

 そもそも、僕はなぜ協力隊に応募してフィリピンというフィリピンパブの国というような悪い下品なイメージを連想させる国に3年もいることになったのか。

協力隊に応募する前まで僕は家具屋で家具を作っていたり、丸太や板材を軽トラで運んだり、チェーンソーでそれを切ったり、お茶の準備もしたし、毎朝掃き掃除とトイレ掃除をしたりしていた。

仕事は好きだった。昔からやりたかった木を使って家具を作れたから。仕事はどんどんやりたかった。単純に何かを作ってるときは楽しかった。趣味みたいなもんで、体は疲れるけど、おもしろかった。

昔から僕はわがままだったと思う。自分の好きな事をずっとやってきて、好きな事をやるべきだと思って生きてきた。その気持ちは今も全然変わってない。好きな事をみんなすりゃ良いと、いつも思ってる。

何もわからないくせに、やりたい事は自分で決めて人に相談する事もあまりない。親にもそうだ。というか人に何かを決められるのが嫌なんだろう。そういう癖がある。強がって自尊心を守る事もある。プライドが高いんだろうな。そういう所もよくある。

年上の人からはかわいくないだろうし、特におじさんに対しては無差別に軽蔑してしまっている事があって、その先入観がいつも離れない。たぶん俺の親父を見てそう思ってきたんだと思う。

”生意気な奴”ってのが僕に似合うんじゃないかと自分で思っているが、生意気な奴め!とはまだ言われた試しが無い。

そんな調子でだから、家具屋にいた先輩からは「死ねっ!」って言われた事がある。確か何か僕が間違えたときだったと思う。冗談じゃなくイラッとしたんだろう。けど僕はその言葉に怒ったし、悲しかった。

僕はとても打たれ弱くて、その死ねって言葉が辛くて仕方が無かった。

その言葉が心の中に湧き出てくるような事がしばらく続いて、仕事は続けたけど楽しさが失われていた。

なんで死ねなんて言われなきゃいけないんだろう?

なんでそんな優しくないんだろう?

僕という人間はそういう言葉を言われるに値する人間って事なのか?

僕というものの存在意義みたいなものって何なんだろうと自分がわからなかった。そんな風に深刻に考えては自問し、自分の中にある闇の奥の方に行っては、また考えた。

当時一人暮らしでテレビが無く、ネットばかり見ていた。

会社で人間として扱われず、鬱になる人やストレスで社会に殺される人が日本に多くいる事を知った。同時にそんな苦しい思いをする人の気持ちがよく理解出来た。生きる為に今生きているのか、働く為に生きているのか、働く事は必要だ。けど人を傷つけてまで、殺してまで求めるものがあるのかと本気で思った。そういう経験は一度じゃなくて他でもあった。職人の世界は厳しいからって理由は人をどう扱っても良いっていう権利じゃない。気に入らないからって嫌がらせして自己都合で解雇させるとか。

日本社会が嫌になっていた。

この息苦しい世界から早く解放されたかった。そして、アフリカの奥地で日本ではあり得ないような極限の生活をして、自分の中の何かをぶちこわしたかった。お金とか意地とか名誉とか、そんなんはいいから。誰かに何か与えられるような、誰かに必要とされるようなそんな事がしたかった。それは結局自己満足だったと思っている。僕がそれを欲してた。だってその真逆の事を日本で感じてたから。こんな弱い僕でも何か出来るかやってみたかった。自分も変化を求め、それを環境に求めていた。

結局は弱いんだと思う。補給したかったんだろう。人間として最低限必要な存在意義とか。それを僕は遠くの見ず知らずの人に求め、彼らは当たり前のように僕に与えてくれる。本当に人間らしい人達だよ。

僕は弱い故に弱い人の気持ちは少しわかる気がしている。

優しく、強くなりたいといつも思う。

僕はまだ強くないけど、いつか強くて、優しい人になりたい。

 

協力隊自体は専門学校時代、山手線の吊り革広告が最初に知ったきっかけだ。やりたいなってすぐ思った。当時海外に興味もあり、留学したかった。英会話の学校も通た時期があったけど、課題が忙しくて続けられなかった。留学も実際無理だった。お金は僕にも母子家庭のうちのも無かった。知らない世界を見てみたいっていうただそういう気持ちは当時夢の世界のような感覚で思っていた。

だから、協力隊しか経済的にも、タイミング的にもそれしかなった。失うものは何も無いってよく聞くけど、まさにそんな気分だった。

むしろ、死ねって言われた事が良いきっかけだったと思う。

人生そういうターニングポイント的な出来事があるんだと知った。僕は運良くたまたまフィリピンに来る事が出来た。

2年間終わって母親の実家言って知ったけど、じいちゃんの兄貴がミンダナオ島で戦死してると。遺骨は見つからないまま、未だミンダナオにいるんだと。

今はJICAの決まりでミンダナオは渡航出来ないけど、紛争が落ち着いたらちゃんと行って線香あげにいきたい。

フィリピンなんて正直、アフリカじゃなくて残念なんて思った事もあったけど、今は良い所も悪い所も含め、好きだ。そしてこれも縁だ。

フィリピンには感謝してる。色んな事を学んだし、日本に無い良いもの一杯持ってる。そんな事も間をみて独り言をここに書き記していきたい。

日本でしんどいならフィリピンにでもくりゃ良い、とほんとうに思う。

 

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