四畳半商店 店主ドードーの日記

四畳半商店の事と心のうちを出しています。

四畳半商店という場の理想像をいつも妄想している。

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四畳半商店では今、フィリピンの工芸品や民芸品を売っている。

 

僕としてはフィリピンにこだわっているわけではない。

 

他の国の製品も今後扱っていきたいけど、今はフィリピンの製品で手一杯だ。

 

日本の和の暮らしに馴染む様なモノを僕の独断で選んでいる。

  

根底にあるのはあくまでも日本、そして和。

 

和室に合うモノ。

 

僕は畳の和室の部屋が好きだ。

 

和室での暮らしが僕にとっては自然で心地いい。

 

なんで好きなのかなって考えるけど。

 

幼い頃夏休みに過ごした、栃木の祖父母の古民家の和の空間が本当に気持ちよかったから。

 

それ以外に理由はない。

 

今でもたびたび思い出す。

 

ほんと気持ちよかった。

 

屋号が四畳半商店という「和」な感じなのに、フィリピンの工芸品を売っているから屋号と合ってないねって言われることが何度かあった。

 

僕の中ではしっくりきているんだけど、うまく伝えられてない。

 

「四畳半」は四畳半茶室からきている。

 

四畳半茶室は村田珠光という茶人が初めて考案したとされている。

 

僕は彼の言葉が好きだ。

 

「和漢この境を紛らわすこと肝要肝要」

 

すぐに意味はわかった。

 

良い感覚だなってすごく共感した。

 

村田珠光の「心の文」は、彼の弟子に宛てた戒めの言葉だ。

 

茶人や文化人としてどうあるべきか。

 

むしろ内容は現代人が読んでも、一般的な人としてどうあるべきかという教育的な規範の様な内容だ。

 

珠光さんは、和と漢で作られた道具を織り交ぜて使うべきだと、舶来品に大衆がとりこになってた時代に提唱していた。

 

それくらい中国の製品は日本人に大人気であった。

 

日本人らしくて好きだなっと思ったのは、その外国製品を排除しようとするのではなく、一緒に使おうと考えたところだ。

 

その寛容さと柔軟さが僕は日本人らしくて好きだ。

 

けど外国のものに虜になる日本人は昔も今も変わらないんだな 。

 

だから僕もそんな珠光さんの茶室のような場が四畳半商店だ。

 

和がベースにあって、フィリピンの手仕事も他の国の手仕事もあるような。

 

 けど四畳半商店という1つのフィルターで商品は選ばれている。

 

質素で素朴な地味な自然なモノが好きだ。

 

色とりどりだけど、くすんでいたりするのも良い。

 

時間や自然が深みを増してくれる。

 

四畳半商店はそんな場所だ。

 

まだ僕自身もどう表現していけば良いかまだ模索中だ。

 

時間を掛けて、四畳半商店を確立していきたい。

 

最後に村田珠光の「心の文」を掲載したい。

 

   この道において、まず忌むべきは、自慢・執着の心である。達人をそねみ、初心者を見下そうとする心。もっての他ではないか。本来、達人には近づき一言の教えをも乞い、また初心者を目にかけ育ててやるべきであろう。
そしてこの道でもっとも大事なことは、唐物と和物の境界を取り払うこと。(異文化を吸収し、己の独自の展開をする。)これを肝に銘じ、用心せねばならぬ。
さて昨今、「冷え枯れる」と申して、初心の者が備前・信楽焼などをもち、目利きが眉をひそめるような、名人ぶりを気取っているが、言語道断の沙汰である。「枯れる」ということは、良き道具をもち、その味わいを知り、心の成長に合わせ位を得、やがてたどり着く「冷えて」「痩せた」境地をいう。これこそ茶の湯の面白さなのだ。とはいうものの、それほどまでに至り得ぬ者は、道具へのこだわりを捨てよ。たとえ人に「上手」と目されるようになろうとも、人に教えを乞う姿勢が大事である。それには、自慢・執着の心が何より妨げとなろう。しかしまた、自ら誇りをもたねば成り立ち難い道でもあるのだが。
この道の至言として、
 わが心の師となれ 心を師とするな
(己の心を導く師となれ 我執にとらわれた心を師とするな)

 

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