四畳半商店 店主ドードーの日記

四畳半商店の事と心のうちを出しています。

「ネグレクト」を読んだ。

育児放棄で3歳の女の子が餓死した事件を、事細やかな取材で詳細に書かれている。

 

非常に細部の生活の様子まで書かれており、この著者の取材、調査能力、忍耐強さと熱意に驚き、感服した。

 

この事件が起きたのは、15年以上も前だ。

 

いまだに日本社会では、虐待をした親の悪魔の様な所業をマスコミが大きく取り上げ、その凄惨な状況をこれでもかと報道する事が、一般的に僕たちがその事件を知る方法になる。

 

僕は自分の幼少期の家族のあり方や、そのころの辛い体験が今の僕にまだ染み付いていて、自分が好きになれなかったり、心の底で人を恐れていたりする事を自覚している。

 

その過去のしがらみを解きほぐしたいとも思っている。

 

ここ数年は心理学や児童心理、家庭や家族のあり方など様々な本を読んで、糸口を見出そうとしているところだ。

 

この事件の加害者の親二人も同様に、辛辣な家庭環境で子供時代を生きてきた。

 

彼らの親世代、さらには親の親世代にまで、この虐待の連鎖は少なくともつながっていた。

 

児童相談所や保健所に虐待を専門とする者もおらず、そういった事件に対応する体制自体が整っていないなかで、救えた可能性も大いにあった事件だった。

 

その頃に児童虐待防止法も厳しくなった事もあり、社会は厳罰を求める傾向にあったと。

 

文章中にあった、裁判の中で検察官が親を責め立てる様子は、社会の牙を代弁しているかの如く、正義という無条件の権力のうえで、敗者への配慮の無い、強者の残酷さを感じた。

 

著者も述べているが、僕も虐待をした親に大きな責任があると思う。けれど、虐待をする背景をもっと知り、社会で共有していく事や、加害者の精神や心の病がなぜ生まれたのか、それによって虐待にどう結びつくのかと言ったことをもっと一般的な知識にしなければいけない。

ただ、まだ日本ではできないのかもしれない。

 

高度経済成長期に経済発展を優先させて、公害問題で住民に被害が出てやっと、環境問題に対する意識がうまれ、今の時代に一般化してきた様に、

 

児童虐待や家庭環境の問題は、おそらく今後もっと深刻な状況、表面化していかないと、一般的な問題へと格上げされていかないだろうと、不本意ながら思った。

 

それでも児童虐待の相談は事件当時から比べると、倍の年間3万件以上だそう。

つい前も虐待死の事件があったばかりだ。

 

親が子供を殺す。

 

一人で生きていくことで、精一杯なのに、子どもに十分な関心を寄せる事は出来ない。

 

個人に全て任せないで、地域や家族、行政ももっとお互いに絡みあった形が抑止になるのだろうか。

 

一方で他人に関わりたく無いという現代人の性質もある。

 

僕も根本にはそういう気持ちもまだあるけど、フィリピンに行ってからかなり変化したとも思っている。

 

けど最後の芯の部分は自分に向き合って、過去に向き合っていかないと乗り越えられない様だ。

 

僕は自分なりに、それを今越えようと思っている。

だから勉強したいし、子ども達とも関わっていきたい。

 

同じ様な気持ちや経験、想いを持つ人の役に立てる様になって、家族で傷つけ合う様な社会はもうやめて欲しいと思う。

 

亡くなった子ども達の命を無駄にしない様に、前に進めていけるように。

 

 

 

ネグレクト―育児放棄 真奈ちゃんはなぜ死んだか (小学館文庫)

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