【旧】四畳半商店ドードーの日記

家族・木工・四畳半商店・ステップファミリー・自然・暮らしのこと、などなど。

5月18日、抜け殻のように。本当の自分に近づけた日。

5月18日、昨日あったことをまとめたいと思う。

 

その前に、なんでこう毎日のように問題が起こるのだろう。

 

昨日は家族4人でゆにわ巡りをして楽しかったんだけど。

 

16日もケンカ。それはなんの問題だったか忘れてしまった。

 

 

 

 

そして今日も朝から問題があった。

 

僕は少し睡眠時間が少なかったけど、7時くらいに起きた。

 

理央さんも起きていて、僕は

 

「何だか今日は調子が良さそう」

僕の気持ちは良い感じだった。

 

朝の一連の日課と洗濯をこなして、ひと段落ついた。

 

今、理央さんと学んでいる講座があって、毎回理央さんにメールを転送してもらっていて

 

自動で転送設定できないかなっと調べたら簡単に出来そうだったから、

 

「メール自動で転送するように設定しても良い?」

 

赤ちゃんにおっぱいをあげながらメールを読んでる理央さんに、そう伝えた。

 

「あとで」

みたいな事を理央さんは言ったのかな。

忘れてしまった。

 

けどその後少し時間が経ってから、

 

「さっきので朝のルーティンが崩されて、嫌な気分になった」

 

と言ってきた。

 

「それでイラっとしたんだね」

 

僕はその言葉を受け取り、理央さんのネガティブな感覚がごそっとうつってきて、僕もイライラしてしまった。

 

それでその場は終わったんだけど、僕は洗濯したりしながら、そこまで気にしないようにしていたけど、なんか気が重く、苦しいなと感じていた。

 

そのまま犬の散歩をし、そのあと昨日借りたレンタカーに積んだテーブルやイスを出し、お昼までに返さなければならなかったのを思い出した。

 

レンタカーを家の前につけ、家具を家の中に運んでいる時も、気持ちが晴れない。

 

心の中は曇りで、ジメジメした雰囲気だ。

 

そのまま車を返しに行き、帰りの住吉大社でお祈りしようと思った。

 

住吉大社で改めて何がこんなにも心に影響を与えているのか、色々考えてみたけどイマイチ良く分からない。

 

モヤモヤしたまま参拝し、祈り、しばらく祈り続けた。

 

一時気持ちが晴れたかに思えたけど、

 

イオンに寄り、家に着く頃になると、モヤモヤが始まり、

 

理央さんと同じ空間に入ると、またモヤモヤしてきた。

 

 

 

夕方になると、理央さんも娘も居間にいた。

二人は楽しそうに会話をしている。

 

「なんでそんなふてくされてるん?」

 

しびれを切らした、という表情で理央さんは聞いてきた。

 

僕は朝から負のエネルギーが取れない事を話した。

 

そしてなぜ俺が怒られなきゃいけないのか。納得できていなかったので、それも聞いた。

 

この辺からだんだん感情的になってしまった。

 

相手をどう否定して、挑発し、ケンカを売ろうか。

 

そんな気持ちがベースになった状態で、会話をしていた。

 

 

「ネガティブな感情を持つのは人間誰でもあるけど、それを俺にぶつけて発散するな!」

 

「そのおかげで、どれだけこっちが苦しい思いをしているんだ!」

 

感情的にそう言い放った。

 

僕はそんな風に今回の事を捉えていた。

 

 

なぜなら前の夜、理央さんが「自分も頑張っているのに、認めてもらえていない」と言う話をしていたから、まだそれが残ってるんだろうとか考えたから。

 

また、機嫌が波打っているから、悪い方によっているのかもなと、いつもの様に思った。

 

 

 

「欠乏感があって、気持ち悪い」

 

「もっと凛としていれば良いのに」

 

「さちおさんの、自信のなさや弱さがでている」

 

朝のルーティーンが崩されたことではなく、その時の僕の雰囲気とか、言葉にのる感情に対して、「気持ち悪さ」を感じていたと話していた。

 

理央さんにそう言われて、僕は余計腹が立った。

 

「本音を言って、わざわざ人を傷つけるようなことしてんじゃねえよ」

 

「そんなこと前からずっと知ってるし、ずっと取り組んできただろ」

 

僕は明らかに理央さんの言葉に反応していた。

 

 

「私は本音で、自分の感じたことを”置いた”だけ」

 

僕はこの言葉の意味を理解しきれなかったと、後で思った。

 

 

「置いたじゃねえだろ。気持ちわりーってぶつけてるだろうがよ!」

 

 

どんどん怒りの感情に支配されていく自分がいやだなと、どこかで感じた。

 

そしてあーだこーだと反論し、色々を言い切った。

 

 

「負の感情を確信犯的にぶつけてきといて、俺の問題にすり替えようとするなよ!」

 

本当にそんな気持ちだった。

 

 

 

 

「もう終わりにしたいよ」

 

「出ていきたい、こんな家」

 

理央さんは答える様に

 

「出ていけば良いじゃん」

 

といった。

 

何度こう言うやりとりをしたかな、と思った。

 

けどその時その瞬間は、本当に出ていきたいという気持ちで、終わりにして楽に一人で生きていきたい、

 

そんな風に逃げたい気持ちでいっぱいで、辛い。

 

とにかくあの時間は辛かった。

 

 

「言われた言葉に反応しているのは、自分がその要素を持っているってことだよ」

 

「自信がなかったり、ぶれているから反応するんだよ」

 

理央さんは涙ぐんで、でもしっかりとした状態で話しているなと思った。

 

感情的になって、ぶれているのは僕で、とても不安定だった。

 

 

 

 

少し沈黙し、このやりとりがおさまり始めた。

 

僕はまだ消化できていない。

 

腹の中でマグマが煮え滾っている様な、嫌悪感とムカつきだ。

 

言葉ではうまく表現できないけど、もやもやした気持ちの悪いガスが、

 

腹にじとっとたまり、へばりついている様なかんじだ。

 

 

そんな状態で、今起きた一連のやりとりを、ノートに書いて整理しようと思った。

 

手帳を開いて、ボールペンを持ち、お互いの言葉を思い出し、書いていく。

 

その時に感じたこと、感情にも向き合い、それも書いていった。

 

一通り書いてはみたけど、何が問題なのかわからない。

 

あらゆることを考えたけど、答えが出ず、考えて、頭が少し痛い感じさえする。

 

 

「気持ち悪い」

 

「欠乏感」

 

「自信のなさ」

 

 

ただ、これらの言葉が気になった。

 

 

「気持ち悪いってどういう意味なんだ?」

 

 

僕は理央さんに聞こうと思った。

 

理央さんは娘と会話したりして、

 

声を聞く限り、いつもの様な心の状態に戻っているのが分かった。

 

 

 

僕も声を出し、聞こうとした。

 

「気持ち悪いとか、欠乏感ってどういうこと?詳しく話して欲しい」

 

僕自身の声もいつも通り、怒りの感情が乗っていない、ニュートラルな状態で声が出て、

 

自分でも少し、ほっとした。

 

 

そう聞いた次の瞬間に、自分では聞く予定もなかったことで、思ってもいなかったことを聞いていた。

 

「俺は自分自身のことを気持ち悪いなんて、あの朝の時点で感じていなかったし、わからなかった。けど、理央さんはそれを感じていた。だから理央さんにしか感じ取れなかった何かがあったんじゃないか」

 

それは勝手に口が動いた様な感覚で、でもとても重要で核心的な部分だと思った。

 

 

理央さんは少し間をとった後、すぐ話始めた。

 

「これは前から感じていたことだけど、この講座を受けている時とか、講座の音声を私が聞いてる時とかに、何の音声??って必死に聞いてくる感じとか、違和感を感じていた」

 

「ロードオブザリングのゴラムみたいに、ギラギラしていて、気持ち悪い」

(数日前に一緒にロードオブザリングを観ていました)

 

「ゴラムの様に、権力や欲に負けて、それを得ることに貪欲で、美しくない」

 

「知識を得ようと必死になって、その欲が出ている、さちおさんが嫌だ」

 

 

理央さんの言葉がどんどん身体に染み込んでいく。

 

理央さんは僕が、”知識を得たい”という欲に駆られていることに違和感や嫌悪感を感じていた。

 

 

泣きながら理央さんは、伝えてくれた。

 

「木を見ているときの、さちおさんと全然ちがう。美しくない」

 

 

 

そのとき、僕の体の中で、何かが流されていく様な感覚がして、自分が囚われていたことに気づくことができた。

 

 

講座で学んでいること自体は大切なこと。

 

ただ僕は、そこで学ぶ知識を”得ること”を欲して、本来の目的を失いかけていたんだと思う。

 

そして、これは昔から僕がずっとやってきた人生の癖だと気づいた。

 

 

中学生の頃、勉強を頑張ってクラスで一番になって、教科書の知識を得て、得意げになっていた自分。

 

これは高校、専門でも同じだったともう。

 

自分で独立するときも、何十冊も経営や自己啓発の本を買っては読み、読んで気持ちが昂り、成長した様な気になっていた自分。

 

英語だってそうだ。TOEICみたいにスコアがあって、どんどんスコアが上がることに喜びはあったし、そこそこの点数をとって、自分は英語ができる人間の部類だ、と優越感があったと言っても嘘じゃないと思う。

 

 

理央さんは僕の本質、木を美しいと思う感性、木から何かを感じているときの僕をちゃんと知っていて、

 

それが本当の僕なのに、

 

僕は新しい知識をたくさん持っている、偽物の自分を作ろうと必死に知識を学び集め、

 

それを心の周りに、土の壁でも作り出す様に、どんどん積み重ね、

 

自分の殻を本当の自分の周りに形成し、固め、本当の自分ではない自分をまた作ろうとしていた。

 

「これを得れば自分は変われるんだ。」

 

そんな風に誤った方向に力が向いていたことを、理央さんは気づかせてくれた。

 

 

35年間、本当の自分を蔑ろにしてきた。といっても良いくらい、

 

自分がとても情けなく、腹から僕は泣いていた。

 

情けない自分への哀れみが押し寄せ、悲観的になりそうだった。

 

悲観的になって、悲劇のヒーローである自分に同情し、泣いた。

 

ただこれが本当の在り方じゃないことも気付いていた。

 

それが済んだあと、理央さんへの感謝の気持ちが出てきて、僕は一人で祈りながら泣いた。

 

 

「こんな人生の機に巡り合わせてくれて、ありがとう」

 

 

「愛を持って、本音を、真実を伝えてくれて、ありがとう」

 

 

「いつも一緒に支えてくれて、ありがとう」

 

 

「諦めないで、そばにいてくれて、ありがとう」

 

 

感謝という言葉では表せないほど、

 

僕は神様に祈り、感謝と愛を伝え、願った。

 

 

「本音で相手を傷つけることはない。これは私の信念だから。」

 

理央さんはすごい。

 

真実を言ってくれる。

 

相手を傷つけるためなんかじゃない。

 

そんな器の人間じゃないよ。

 

 

 

 

自分が恐ろしく弱い。

 

弱さを嫌でも認めざるを得ない。

 

どんどん、裸になっていくような感覚。

 

何も持たない。

 

すべて流されてしまった。

 

弱さも、包まれて、本当の自分だけ残ったような感覚がした。

 

 

 

 

僕は力が全然でなくて、最後は抜け殻の様になっていた。

 

けど嫌な感じがしない。

 

元気がないわけじゃない、けど今は静かにしていたいんだって感じ。

 

 

 

自分の心に正直であること。

 

心が違和感を感じていないかな。

 

ごまかさない。

 

我慢しないでいい。

 

一回、振り返ってみようか。

 

 

そんな感覚が必要なんだと、僕はこの出来事から学び、心得た。

 

 

「一人で生きなきゃいけない」

 

僕は小学生の時、自分の心に誓った言葉。

 

両親を見て、僕がしっかりしなきゃと思った。誓った。

 

あの言葉は今も心に刻まれてしまっている。

 

けど、一人じゃ生きれないよ。

 

物質的には生きれるよ。

 

仕事があって、お金もらって、ご飯が食べれる。

 

ただ、人間という身体を成り立たせるために生きることは一人でも出来る。

 

 

けど、魂は、心は、一人では生きれない。

 

それでも、ごまかして生きることを選ぶ人は多い。

 

それは楽だから。

 

 

僕も楽をしてきた。

 

ごまかしてきた。

 

向き合ってきたようで、実際は向き合う方法や知識は得たけど、

 

魂や心は何も成長していない。

 

 

 

 

一人じゃ無理だったんだよ。最初から。

 

それでも強がって、しっかりして、一人でも生きれるように、頑張るっていう選択をしたんだよな。

 

ほんとよく頑張った。

 

小学生の僕を労いたい。

 

 

弱いことを認めよう。

 

弱いところも包んであげよう。

 

自分の弱さを包めたら、周りの人にも優しくなる。

 

 

僕は強がり、弱さを受け入れないことで、優しさと本当の強さを学んだと思う。

 

 

 

 

 

家族はドラマのようです。

 

本当に家族ってすごい。

 

人間は家族で生きていくものだ。

 

苦しいこともある、辛いけど、信じて、愛してほしい。

 

 

改めて理央さん、ありがとう。

 

いともさとりも、ありがとう。

 

強く、優しいお父さんになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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