中学校の時の家での思い出は、なんだったか考えていた。
思い出はなかなか出てこないけど、
中学校一年の入学式か。
保護者と生徒で集合写真を撮った。
僕は背が高かったから後ろの列に立ち、その後ろにひな壇状に、保護者の1列目が立って並んだ。
偶然か、近くにきたのか、おかんが僕の右後ろに並んだのだ。
「さっちゃん」
おかんは後ろから、幼稚園児を呼ぶような、甘ったるい声で僕を呼んだ。
僕はあの時の、ムズムズするような嫌悪感を、いまだに忘れられない
公の場における母親の態度と、家での態度のギャップに強い違和感と嫌悪を感じた。
家の外で、関わりのある他者の前ではいつもこうだった。
今まで聞いた事も無いような声。
人前にいる時だけ、仲の良い家族を演じさせる。
あの時の不快感はどう表現したら良いのだろう。
電話に出る時や郵便配達、近所の人など、家の外部の人との会話などでもそうだ。
多少は誰にでもあるかもしれない。
それでも極端な演技と演技後の変わりようを見ていると、おかんの何が本当なのかわからなくなっていた。
家では全然交流がなかったと思う。
うちの母親はコミュニケーションがうまく取れないんだろう。
カッとなりすく、料理をしてても、物を乱暴においたりすることがよくあった。
独り言も多かった。
夕食の準備をしながら、台所の窓に向かって独り言で誰かと話しているのを何度も見た。
笑ったり、質問したり、相づちを打ったりしている様子は、おかしいと思ったけど慣れてしまった。
おかんは、おかんにしか見えない相手と、ずっと会話を楽しんでいた。
親父と離婚する直前くらいだろうか。
僕は親父の財布から1、2万盗んで、よく友達と川越に遊びに行った。
何回か盗んで、おかんが「盗った人は明日までに仏様の封筒に入れて返すよう」
と僕ら兄妹に話した。
僕は返さないで、遊びに行った。
どう考えても僕がやっていると大方わかっていたはずだ。
なぜなら当時一階の居間に寝ていたのは、親父とおれだけだ。
実際親父が夜酔っ払って帰ってきて、寝静まった後に金を抜きとった。
おかんはおれに直接叱れなかったし、その後も何もなかった。
前のブログで万引きで捕まった事もあったと書いたけれど、その時おかんが店まで来て、謝って、学校にも警察にも連絡が行かず帰してもらった。
僕は泣いて、「いらねー」っと盗った商品をはたいた。
店の人は余計怒っていた。
おかんの車で、俺は助手席に座って帰った。
車の中でおかんは無言だった。
不機嫌そうな顔をしていた。
家に帰ってからも何も言わなかった。
俺が盗んだ商品は捨てられていた。
寂しかった。
万引きをしても、何も言ってもらえないんだと思うと、虚しかった。
長谷川博一先生の本に出てくる、子どものSOSのサインだった訳だけど、うちの場合は見過ごされてしまった。
時々思う。
僕は犯罪者と紙一重だなっと。
社会に出てからは、犯罪になるほど、自分を抑圧しないで生きてきた。
けど自分の中に時々悪がいるかもなって思う事がある。
向き合って、どうにかしたいとも思ってる。
どう向き合っていけば良いかは今模索しているけど、しっかり専門のカウンセラーに診てもらった方がいいのかもしれない。
子どもの頃のように、すっきりした気持ちで生きたいな。
こんな内容をブログに書いてて良いのかなと思うけど、少しでも外に放出したいから、誰が見てるかも知らないけど、今は自分のために、勝手に吐き出していきます。